現地採用という生き方-インドで働く日本人- はじめに

「インドの現地採用の人って、よっぽどインドが好きなんだと思う。私なんか、会社からインド駐在の辞令が出たときは、会社を辞めようかと考えたもんね。」

東証一部上場企業に勤め、インド駐在約1年となる30代前半のエリート駐在員がインタビュー中に語った一言である。

 

 筆者は2014年から2016年までの1年半、インドで現地採用として働いていた。インドに自ら好き好んで働いた筆者は、この駐在員だけでなく会う人会う人に、インドを心から愛してやまないインドフリークな人だと思われたが、実はそうでもなかった。筆者はタイの大学院を卒業後、プロの翻訳・通訳者を目指し、ムンバイに拠点を置く某翻訳会社に雇用され就職するが、それまでインドに大して興味もなければ、縁もゆかりもなかった。

 だから、インドが好きだから、インドで仕事を探したわけではない。多くの日本人留学生のように卒業後は直ぐに日本に戻り就職しても良かったが、それよりも自分のスキルに磨きをかけるのに最高の場所を探した結果がインドだった、というほうが正しい。また、もっと回り道をして自分の知らない世界を見たかった、という気持ちもあった。タイに留学していたおかげで、海外で就職することにも抵抗はなかった。そこで就職活動中さまざまな国の企業にエントリーし、一番最初に内定をもらった翻訳会社が、たまたまインドの法人だったというわけだ。最初の半年、その翻訳会社でカスタマーサービスオペレーターとして働き、翻訳の受注から納品までの流れを覚えた。その後一度転職し、二社目はニューデリー近郊の日印合弁企業の通訳兼翻訳者として働いた。社会人経験と転職の人生初体験をインドでさせてもらったことになる。

 

 就職した会社が自分のキャリア形成で一番ベストな企業ではないかと感じ就職したが、実はインド渡航前には日本でお世話になった大学教授からは、「わざわざ海外に出ないとできない仕事なのか?」と問われた。今にして思えば仕事内容だけで言うと、別にインドでしかできない職務ではなかったと思う。最初のカスタマーサービスとして従事していた企業でも、台湾市場を担当していた台湾人の同僚は、現地採用契約が終了し帰国したが、その後もしばらくは台湾事務所で同じ業務を継続して行っていたぐらいだ。

 

 情報、物、金、人が国境を越え、本格的に「グローバリゼーション」の時代を迎えたのは、冷戦終了後の1990年代だといわれている。そこから20年余りが経過した。もう10年以上前にベストセラーになったトーマス・フリードマンの「フラット化する世界」では、グローバル化した世界では、中心と周縁の境界が曖昧になり、安価にアウトソースできるサービスは新興国へ外部委託され、ビジネスにおいて時間的、物理的空間はますます空虚な概念になりつつ現実を描いていた。その事実を象徴するかのように、同著の中で、あるインド人IT社員が「インドでできる仕事を、なぜわざわざアメリカまで行って仕事をする必要があるのか」という旨の発言をし、海外就労を思い留まる事例が紹介されていた。確かに、そうである。自国とは異なる文化、言語や生活習慣では、仕事以外の事柄にも労力を費やす。ボーダレスな時代を生きる今日、日本ではなく海外でしかできない職務や業務内容などを、いちいち探すことも困難になってきている。

 そのような文脈で、日本より所得水準の低いインドに来て、なぜ現地採用として働くのか。何に付加価値を見出しているのか。さらに、海外就職の醍醐味や困難とは何なのか。本書では、筆者を含めた11人のインド現地採用者の語りを基に、インド就労の動機や経験を明らかにしていく。尚、本書で現地採用とは、海外に移住し現地企業と直接雇用を結び就労することや日本人就労者を指すものとする。

 

 インタビューは2015年9月から2016年2月まで行われた。本インタビュー協力者はムンバイニューデリーとその近郊に就労する、筆者の友人や紹介で知り合った方、ならびに筆者の元同僚たちである。いわゆるスノーボーリングサンプリングであるため、インタビュー対象者の職業がかなり限られており、彼らの視点だけでは、インド現地採用全員の経験として一般化させることはできないことに留意してほしい。しかし現地採用以外にも、人材派遣会社、駐在員、出張者、インターンや起業家ともカジュアルな会話やインタビューで声を聞かせてもらい、できるだけさまざまな人の声を載せ、現地採用の現実を相対的に読んでもらえるように配慮した。

 尚、本ブログで出てくる名前は全て仮名である。またプライバシーの関係上多少インタビュー内容を変更した部分があることを了承して頂きたい。